第19代内閣総理大臣 原敬菩提寺
黄檗宗
福聚山
大慈寺
大慈寺の歴史
-
創建年/寛文13年(1673年)
-
御本尊/如意輪観音
-
開基/徳真道空禅師
-
札所/盛岡三十三観音霊場第六番札所
当寺は山号を福聚山、寺号を大慈寺といい、禅宗の一派である黄檗宗の寺院として、寛文13年(1673年)に徳真道空(とくしんどうくう)禅師を開基として創建されました。当時は盛岡市下ノ橋町辺りにありましたが、第2代住職逸堂通穎(いつどうつうえい)禅師の時に現在の場所に移ってきました。
第4代住職萬壡衍水(ばんえいえんすい)禅師の時に、盛岡藩第4代藩主南部行信公の御息女麻久姫(光源院)様の発願により、北上川の河原にて第4代住職が蒙山施餓鬼会(もうざんせがきえ)をおこなったのが、現在まで続く『船っこ流し』の起源とされております。尚、光源院様は御遺言により当寺に埋葬されています。
第8代住職恵珊真暈(えさんしんうん)禅師の時に境内に井戸を掘り、地中の木管を通じて近隣の鉈屋町まで水を引き、生活用水として利用したのが現在もある大慈清水の起源です。
当寺は明治17年(1884年)の大火により、御本尊など幾つかの仏像を除く多くの寺宝や本堂などの諸堂を焼失してしまいましたが、第13代住職隆光寂道(りゅうこうじゃくどう)禅師、第14代住職悟岳寂秀(ごがくじゃくしゅう)禅師の時に、第19代内閣総理大臣原敬氏や檀信徒からの御寄進により諸堂が再建され現在まで伝わっています。
当寺と原家との関係は第2代住職の時から始まります。当時、苦境の中にあった原敬氏の御先祖を第2代住職が救ったことが縁となり、原家は当寺の檀家となりました。その後、時を経て当寺の苦境を原敬氏に救って頂いたことは、まさに仏縁といえるでしょう。『平民宰相』として親しまれ、当寺だけでなく日本国に多大な貢献をなさった原敬氏は御遺言により当寺に埋葬されています。